2016/12/21

2016年12月20日

髪を切る夢を見た。長さ変えずに毛先だけ揃えてくださいと言ったはずなのに、肩の辺りまで切り落とされていた。バレエを踊るのがつらくなって、朝の授業で涙がとまらず泣きながらバーレッスンをしていた頃、自分で髪を切った。幼い頃からバレエのためにずっと伸ばし続けていた髪の毛を、わしづかみにして普通のハサミで切った。生まれて初めてショートヘアになったそれからの私は、担任の教師に「髪を結ばないやつはバレリーナじゃない」と小言を言われながらも、ほんの少しだけ晴れやかな気持ちだった。バレエという大きなおそろしいなにかに初めて歯向かえた気がして、悪いもんじゃなかった。たった1年だけ通った高校生の頃、バンドを組んでいた。同じクラスの男子たちがやっていたバンドに、何がきっかけだったかよく思い出せないが少しだけお邪魔させてもらっていたような感じで、でもそれにしてはちゃんとスタジオに練習しに行って、ライブハウスでお客さんの前で披露したりもしていた。先週、そのバンドでドラムを叩いていた同級生が、事故で亡くなった。よくよく思い返してみれば、小学校から高校まで同じ学校に通っていて、一緒にバンドも組んだけれど、そんなに仲が良かったわけではない。ちゃんと話したのも数えるほどだと思う。私は彼のことを、なにひとつ知らない。連絡先も持っていない。友達、と呼べるかどうかさえはっきりしない。あんなに近くにいたのに、それまでの関係だった。不思議だな、と思った。私の中での彼は16歳の制服姿のまま、これからも永遠に歳をとることはない。

2016/12/07

2016年12月5日

来年か、再来年か、もっと先か、時期は分からずともいつかやってくるであろうそのチャンスを逃すまいと、奮い立った。「アヤカに、あれを踊ってもらおうと思っていたんですよ」とつい先日言われたからである。彼女は私にダンスを植えた。植え付けてしまった。こうなったらもう、あとは水をやって肥料を与えて気持ちの良い光を浴びさせる他ない。そして、その役目を背負うのは紛れもなく私自身だ。黒沢美香が、旅立った。いま、痛みから解放されたあの小さな体を想うとふと息が漏れる。私はいつでも、美香さんに褒められたかった。たぶん、みんな美香さんに褒められたかったのだと思う。こんなに人に褒められたいと思うことは初めてのことで、だからこそ美香さんとの現場では絶対に媚を売らないダンスをしようと心に決めていた。彼女は私のことを「生意気」と呼んだ。そう呼ばれるのがとても好きだった。いつか自分にソロを振り付けてもらおうと、苦手な貯金も始めてみた。もちろんお金だけの問題ではないだろうが、いよいよ告白したときに蓄えが全然なくて・・・なんてことにならないように。ただ、先月神戸にいらした美香さんの姿を見て、これは、もしかしたら、もしかすると、お金も技量もなんにもすっからかんだけれど、出世払いとか、どうにかこうにか策を見つけて一刻も早く告白しなければならないかもしれない。そんなことが頭によぎった矢先のことだった。いつか、ありえたかもしれないそのダンスを、私は永遠に踊ることができなくなってしまった。美香さん、こんな時まで自分の踊りのことを考えてしまう私を、どうか叱ってやってください。どうか。

2016/11/30

2016年11月29日

お稽古では全然目立たないフリして、人が見てると自分がいちばん!みたいに踊るんだから、と言われた。昔からそうなんです。私が通っていたバレエ学校の生徒はグラハム派とカニングハム派に分かれていた。この2つのメソッドがコンテの基礎レッスンにあって、どっちが好きかっていうだけの話。ちょっとおしゃれな子はどっちも支持しない隠れフォーサイス派か、マクレガー派(当時、新進気鋭!みたいな感じで流行ってた)だった。スクールパフォーマンスでは学生が自分でダンサーを選び、振り付けた作品を上演できるので、上級生に「お前どっち派?」と聞かれたらどう答えるかで舞台に立てるかどうかが決まる(と思っていた)。ちなみに私の場合、「カニングハム派だけど、本当はバレエがやりたいの。」と答えていたら、ホラーを題材にした身体を床に打ち付けて痛めつける感じのやつと、庭がテーマの全身タイツにトウシューズで逆立ちしたりする作品に選ばれた。

2016/11/25

2016年11月24日

やりたいこととやれることは違う。好きなことと得意なことは必ずしも一緒じゃない。どんなに素質があってもそれを伸ばしたいと思えるかどうかは別で、どんなに強い想いがあっても才能がなければ辿り着けないこともある。自分と比べてずいぶん小さな手や足を触っていると、たまに怖くなる。この柔らかな身体を、私のたった一言で、私のこの手で、壊してしまうかもしれないという恐怖である。教師という立場の人間に、バレエという道具を使って、壊された身体をこれまでたくさん見てきた。今の子どもたちは身体的に恵まれている子が多くて、その柔らかな時期にたっぷり手をかけて色々注いであげたいけれど、私のそういう気持ちが先走るとすぐに彼女らの心は逃げていこうとする。いくらキチンとバレエの型に身体をはめてあげても、心がそこになければ意味がない。私がもっとうまく使ってあげるから、あんたのその脚ちょうだいよ。10代の頃、そう願ったことを思い出した。憎しみにも似た、汚い感情だった。

2016/11/24

2016年11月23日

自分以外の誰かのために踊るなんていう、ダサくておこがましい行為とは無縁だと思っていた。こないだのジャズズは、そもそもあの舞台はお祝いの場であって個人的なアレコレを乗せるべきではないと頭で分かってはいたけれど、あの場を借りてでもやらなければならないことだと、私の身体がそうあることを選んだ。とはいえ結局のところ、いざ舞台に立ってみると毛穴まで見られてしまうんじゃないかというほど客席は近いし、久しぶりに浴びる強い照明とか、出番ギリギリまで手縫いしていたギンギラの衣装のこととか、6拍子とカウントのズレとか、振付を追いながら、魅せながら、私は私の踊りをどうにか終えることだけで精一杯だった。とても悔しかった。誰かのために踊る、なんていう境地にはまだ到底立てそうにもない。オマエの青臭い踊りなんぞ必要ない、オマエはこれから先も、まだまだずっと、踊らなくてはならないのだ。そう言われた気がした。

2016/09/13

2016年9月12日

気づけば1ヶ月以上、ブログを書いていませんでした。それでも不思議なことに毎日見てくれている人がいるようで驚きです。おひさしぶりです。8月の始めにトヨタの振付賞を終えて、contact Gonzoというチームのヨーロッパツアーに合流。ハンブルグ、レイキャビク、フランクフルト、ベルリンとここまでやって来ました。あとパリ、ミュンヘン行って終わりです。いっぱいステージに立てて幸せです。と同時に舞台に立つことの尊さや儚さみたいなものをこぼしてしまってはいないかと、最近ふいに不安な気持ちになります。ダンスに、いやダンスを取り巻いているよくわからないもろもろにすっかり失望した私は、いっそ死んでもいいやと飛行機に乗りました。死んでもいいというのは言い過ぎました。要はあんなものがもてはやされるこんな世界でダンスを続ける意味がまったくわからなくなってしまったのです。とはいえどこの国に飛んだとしても、有名無名に関わらず好きなものは好きだし嫌いなものは嫌いで変わらない。ただ今のところ、このツアーに参加したことでどうにか私とダンスはまだ繋がっていられるようです。首の皮1枚といったところか、あぶないところで助けられました。「作品の力」とは一体どのようなことか、ロングラン繰り返しの日々で考えます。作品は振付家のものであったとしても、そこで行われるダンスは、ダンサーのものであるべきだと私は思います。ギリギリ裏切ることができる余白のある振付に、騙したり整えたりということに余裕のある身体が置かれること。あーここまで書いて最初から読み直してみたけど、ブログの書き方を忘れてしまったのか、なんか調子が出なくてつまらない。まじめすぎる。そんなことない?ダンスの話はもういいや。

2016/07/26

2016年7月25日

お向かいの、2軒ほど先の小さなアパート(だったと記憶している)が壊されてゆく姿を毎日見ている。かつて家の壁であったものが灰色の石となり、砂ぼこりを立ててごろごろと落ちて、うず高い瓦礫になる。今はもう、建物の最後の壁だけが残っている感じ。これから新しく小綺麗ななにかをつくりあげるよりは、この中途半端なよくわからない塊のままで残しておけば良いのにと思うがそうもいかないのであろう。高知から戻ってきてひと月、奴隷のように働いた私は来週また東京へ。5日ほど滞在して都会の皆さまへ踊りを披露したのち、ヨーロッパへ飛びます。10月の半分くらいまでです。帰ってくる頃にはもう夏も終わっているのですね。そうして秋が来て冬が来て、また新しい年がやってくる!いつまでこうしているつもりなのですか。

2016/06/19

2016年6月18日

来いよ、と言われて泣きながら朝一番の新幹線に飛び乗ったあの日のことを、これから私は一生後悔するのだろうか。もっと歌がうまければ、もっとせりふが喋れたら、私はあの人の少女になれたのだろうか。こうやって一生、悔やみながら舞台に立つのだろうか。中間さんありがとう、と言われて、このクソジジイ、と心の中でつぶやいた。いつか絶対に、と思っていた。私が憧れる人たちは、みんなずるい。ずるいです。さようなら。

2016/06/17

2016年6月16日

美香さんとこでは、転ぶと褒められた。転んでしまうくらい、ギリギリも超えたところで踊っていた。あの夏から1年が経とうとしている。最近の私はどうも知恵をつけすぎたようでつまらない。もうしばらく、ダンスを産んでいない。

2016/06/02

2016年6月1日

ひと月くらい前、友人の舞台を観に行った。「自分」を殺さずに舞台に立っている姿ばかりに目がいって、作品としてはよく分からなかったし好みではなかった。だけど、なぜだかその姿がとてつもなく羨ましかったし、愛おしかった。こんな風に人を見ることができるのだ、とそれは初めての体験だったように思う。20歳の時にはじめて賞をもらった。「誰でもない誰かとして存在していたところがよかった」というようなことを審査員のひとりに言われた。たくさん褒めてもらったけど、他になにを言われたかあまり覚えてない。あぁ、私のダンスに、ようやく気づいてくれた人がいた。ただそう思って、嬉しさをかみしめた。その日からはもう、私が私として舞台に立つことは一切なくなった。嘘をついているわけじゃなくて、でも本当のことを全部見せてあげるつもりもなくて、私は誰のためでも誰かとしてでもなく、その作品やダンスの生まれようとするその場所にとても自然に、振付られる存在として立とうとしている。どちらがいいとか悪いとかの話ではなくて、でもその褒めてもらったときの踊りというのは、先日観た友人が振り付けた作品に出ていたときのものだったので、やっぱり踊りはおもしろいナァ、と思ったのです。

2016/05/13

2016年5月10日


健やかでない。いま、部屋の壁に穴を開けられている。私が座っている左側、白くて薄い壁の向こう側からガリガリ、ドンドンとやられている。もうしばらくすればドリルの先が見えてくるはず。通気口を作るらしい。部屋に窓がなく黴っぽいので、よかった。とにかくここにいると気が滅入るので、行動だけでも健やかでいようとしてみる。掃除。調理器具を全く持ってきていないので、キッチンに置いてある誰かのフライパンをこっそり使う。共有のものなのかもしれないが、聞いてみて違ったらもう使えなくなってしまうので黙っている。急いで料理。きれいに洗って、拭きあげたら元の場所へ。これはおそらく共有の、小さなやかんでお湯を沸かす。熱々のコーヒーを入れて、水筒に注ぐ。

2016/05/10

2016年5月4日

筋肉痛とは答え合わせである。1日が経ち、内腿と、腰ではなく背中が痛かった。外側じゃなく内側を使えと言われていたので、内腿が痛かったのは嬉しい。大谷(紅玉)さんの舞踏クラスを受けた。舞踏というジャンルにあまり興味はないがそれを取り巻く諸々をおもしろく感じる。言葉遊びを身体にうつしていく作業(と私は呼びたい)があって、これがなかなかむず痒い。カラダは水袋。奥歯の先に森が広がっている。まぁこれらがどんなに明確にイメージできていたとしても、イメージは単なるイメージに過ぎず、輪郭を取ることも大事なのだろうと思う。(たぶん。)ダンスにおいて輪郭を取るという作業は、目で見えているカラダの形を真似することと似ているようで違うと思っている。模倣という言葉が少し近いか。まぁ、ようはお祭りの型抜き、綺麗に抜けたそのかたちそのものではなく、抜いている最中の時間、出来事、感覚?私は型抜きやったことないけど。

2016/05/02

2015年5月2日

あの数秒の特別な時間を、大好きな映画のワンシーンのように繰り返し思い出す。ふと頭に浮かんでくるわけではなくて、またあの光景をまぶたの裏に見て幸せな気持ちに浸るため、わりと頑張って意識的に思い出す。思い出すという行為を自ら選択し、さぁやるかというのはなかなか不思議な感じがする。あれからだいぶ時間が経ったような気がして手帳を開いたら、まだ1週間とちょっと前の出来事だった。こうやって少しずつ、蛇口の根元から水が浸み出していくように忘れていく。しっかりと蓋をして、たまに中を覗いて触れてやらないとすぐに逃げてしまう。

2016/04/30

2016年4月29日

そういうの、共依存って言うんだよ、とよりちゃんが教えてくれた。私は、100均に売っているレンジ調理器を使って作った(「作った」と書くことに違和感を覚えるほど手のかからない)塩ラーメンを食べていた。具なし。いつからかネグレクトに関するいろいろを追いかけている。でもその日は恋愛の話をしていた。よりちゃんが履いていたギャルソンのパンツが可愛くて、いいね、と2回くらい言った気がする。このブログは日記ではないので、大真面目にその日起こったことを記しているわけではない。でもその日起こったことをまったく書かないわけでもない。本当のこともあるし、嘘も書く。読み物としての面白さとか、リズムとか、最近はそういうのもやってみたくなってきて、だから「中間アヤカ」として書くことが正しいのかはわからないけど、いまは他にこのようなページを作るのも面倒なのでここに垂れ流している。見てくれている人が増えてきたので、このような言い訳をしてみようと思った。よりちゃんの話に戻そう。よりちゃんは占いが好きで、占うことはできないけど占われることについて詳しい。でも対面で占い師に見てもらったことは今まで2回しかないらしい。よりちゃんは私がブログを書いていることを知らないし、そこに自分の名前が出ていることも知らない(たぶん)。これからもそのことについて話す予定はないが、知られたら知られたで別に構わないしよりちゃんもそんな感じだと思う。そもそもよりちゃんというのは偽名である。私たちはたまに一緒の時間を過ごす。私はだいたいなにかを食べていることが多く、気が向いたらひとくち分けてあげる。よりちゃんは、くれるの?とか、ありがと、とか言わずに自然と口を開ける。ただ、ラーメンはいらないと言って断られた。教えることをためらうような素振りも見せず、淡々と説明を続けるその姿をなんだか悲しい気持ちで眺めていた。「愛されるのが趣味なんでしょ」と言ったよりちゃんは、続けて間髪入れず「愛されていると感じるような行為を受け入れるのが趣味なんでしょ」と言った。一字一句正しくは憶えていないが、そのようなことを言っていた。この辺りからメモを取るのを忘れておしゃべりしていたから。あの時なんて言ってたっけ、と聞いたところで答えは返ってこない。ギャルソンの可愛いパンツはともかく、そもそもよりちゃんはこの世に存在していない。

2016/04/28

2016年4月27日

結局はそういうことなのだ。人と人とのあれこれに麻痺しているのだろう。思えば物心ついたときから、自分以外の他者への興味が極端に少ない方であった。神戸のアパートを借りるのに月々いくら払っているか、3階に住む大家さんが弾くピアノの曲目や、彼女に飼われている馬鹿なポメラニアンの話なんかを事細かにしている最中、そういえば自分は相手について苗字と職業(例えばOL、といったおおざっぱな振り分け)くらいしか知らないなんてザラにある。こちらが聞かずとも喋ってくる人はいるが、そもそも聞いていないので覚えておらず、それによって記憶障害かと疑われるほどに「思い出」なんかも持ち合わせていない。ハタチを過ぎていくらかましになってきたとは思う。『キャバ嬢が教える会話術』みたいなタイトルの本を手に取ったこともあった。天気について話すというような、会話のスタートを切ったり繋げたりという行為において便利な内容を口にすることが出来なかったのだ。意味がわからなくて。ただごくたまに、それまでの人生どんな時間を送ってきたのかを知りたいと自然と思う人に出会うことがある。直近ではSさんがそれに該当する。質問をすることが苦手な私は、やはり質問ができないので、質問という方法を使わずにどこまでSさんのこれまでを知ることができるか試している最中である。

2016/04/20

2016年4月20日

次の出演作品のクリエイションのため、6月末まで東京に部屋を借りている。別の作品も掛け持ちで稽古しているので、神戸にもたびたび帰る。いまは神戸。身体が、のびのびとしているのがわかる。神戸のアパートはとても狭いけれどとても素敵で、日の光がさぁっと差して、ピアノの音が聞こえる。猫もいる。馬鹿な犬もいる。テレビはない。クローゼットもない。こたつはあるけどもうしまった。今日は朝ティッシュ配りのアルバイトに行って、帰りに元町の水曜市で生のわかめとサンフルーツを買った。これから稽古。この間の地震で、別府もかなり揺れたらしい。家の中はめちゃくちゃになったけど、家族みんな無事だった。母親が、部屋を片付けている途中にこんなものを見つけたと写真を送ってきた。いつ頃書いたものかさえ思い出せない。「こんどおどりみてね!」なんて、こんなにも無邪気に言えていた日があったのか。私はいつも、ダンスのために家にいない。命があってよかったよ、なんてセリフを、生まれて初めて言葉に出した。



2016/04/06

2016年4月1日

あぁ、死ぬかも、と思った。これまで全く危機感を覚えないほどにぬくぬくと生きてきたわけでもないが、そんな風に思ったのは初めてのことだった。横に、ゆらぁっと揺れて、目の前がぐるぐる回っていた。貧血を起こして倒れる間際のあの感じがしばらく続いて、あれおかしいな倒れないぞと思ったのとほぼ同時くらいに「地震だ」と気がついた。オフィスビルの8階、誰の携帯も鳴らないし、なんのアナウンスもないとても静かな時間だった。大きく、ゆっくり、たっぷりと揺れた。気持ちが悪かった。「あの時の揺れ方に似てた」と社員さんが言って、誰も返事をしなかった。フロアにいたアルバイトは私だけだったのでなにか反応しなければと思ったが、「あの時の揺れ方」を知らない私は結局黙っていた。体感ではこれまで経験してきた中で一番大きい揺れであったが、あとから調べるとビルの建っている場所は震度1しかなかった。

2016/02/18

2016年2月18日

ダンスじゃなくていいから踊りたいよ。私たちは、わたしは、それがダンスであるのかないのかいつも考えていなくちゃいけない。ダンスかどうかはさておき、という踊りをわたしはもう一生踊れないのだろうか?ダンスとは何か、そんな小難しいことは頭のいい人たちが考えてくれるから、ダンスかどうかはさておき、踊ろう。夢のまた夢のようなお話を夢見ながら、また今夜も「ダンス崇拝」の幻想に踊らされるのだ。まぁここんとこ最近は「ダンスなんてそもそも存在しない説」を胸に抱いてあたためている傾向にあるのでちょっとばかし楽ではあるが。

2016/01/26

2016年1月26日

ロンドンに住んでいた時にバイトして買ったマーチンの8ホールのブーツを売った。たいした額にはならなかったが、大事にしすぎてあまり履くこともなかったので後悔はない。ただ、自分でもよくわからない何かをひとつ清算したような気分ではある。17歳だった。泣きながら踊っていた。ダンスが嫌いなの?と聞かれて、そうだとはっきり答えた日のことは今でも覚えている。契約とは不思議なもので、来年の夏までは踊りを続けていなければならないらしい。明日自分の身体がどんな姿形をしているかもわからないのに、そんな他人の「踊り」なんていう不確定なものと契りを結ぶなんて、と思った。でも同時に、そういうことが自分の踊りへの自信に繋がるし、ダンサーとしてのプライドにも拍車をかける。昨日チラシを配っている最中、見知らぬ女の人に差し出した手をぎゅっと握られた。もっと長く感じたけれど実際には5秒くらいか、黙って強く握られたまま放してくれなくて、驚いて声が出せなかった。人通りは結構あったけれどその流れを止めることなく、私の前を通り過ぎるまでの間の出来事だった。あまりにも自然すぎた。最後の1秒あたりで、このまま殺されるかもとさえ思った。逆ギレしたおばあちゃんにチラシを顔面に投げつけられたり、酔っ払いに肩を抱かれたり、おじさんに握手を求められたりといったことはこれまであったけれど、それらは全て流れやリズムに不自然な行為で、だからこそ反応できた。自然であることが一番怖い。

2016/01/12

2016年1月12日

食べるという行為は身体そのものをあたためるのだなと、こんな夜更けに冷蔵庫の残り物の豚肉と白菜をごま油で炒めたものをフライパンから直接食べながら思う。鷹の爪も入れた。近所の魚屋では4カン1パックのお寿司が150円で売られていて、お昼時にたまに買いに行く。そこで働く男の人たちはいつも私を「オネーチャン」と呼ぶ。オネーチャン、可愛いから100円でいいよと何度かまけてもらったこともあって、そう呼ばれるのはなかなか気分がいい。今日も店に行くと「らっしゃい!オネーチャン、なんにする」といかにも魚屋な風貌のおっちゃんに声をかけられ、ブリのにぎりと、赤身の魚とシソの巻き寿司を選んだ。お金を払ってさあ帰ろうとした矢先に事件は起こる。私の後ろに並んでいた白髪頭で腰の曲がったおばあちゃんに向かって、魚屋のおっちゃんは「オネーチャン、なんにする」と言ったのだ。数分前に私に言ったそれと全く同じ調子で。とぼとぼと、お腹をすかせながら帰った。

2016/01/08

【出演情報】株式会社ABC TVCM出演中

2016年1月1日より、東海地方で放映中の株式会社ABC TVCM『ココロ、踊ってる?マッサージ編』に出演中です。


▼株式会社ABC CMギャラリー
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