2017/10/01

2017年10月2日

物心がついてはじめて好きになった芸能人は、たしか安室奈美恵だったと記憶している。夏祭りの射的で、ピンク色のフレームに入った小さな安室ちゃんの写真を父親に取ってもらった。ずっと大事に持っていたはずだけど、小さな安室ちゃんはいつの間にか手元から消えていた。未完成なその人が育つ姿を応援したいというよりはプロ意識を感じさせる圧巻のパフォーマンスに常に驚かされたい性分なので、そういう意味では安室奈美恵は当時から別格であったと思う。そこにいない人について語ること。やっぱりまだ割り切れない自分がいて、だからと言ってじゃあ割り切れる日なんてくるのかと言われれば来ないような気がするしむしろ一生来んなとも思う。先月丸亀に志賀理江子さんという人の展示を見に行って写真ももちろん素晴らしかったのだが、そこに書かれていたある言葉に、答えではないけれどもある種の拠り所みたいなものにできるかもしれないと、そんな希望を見た気がした。飽きたら終わればよい、ただそれだけのことなのだ。あ、今日からしばらく横浜です。

2017/07/17

2017年7月16日

また書くことをサボっている間に夏が来た。いろんなことがありました。6年ぶりにロンドンへ行ったこととか、新しい仕事のこととか、いろんなことがあったけれどサボってしまったものは仕方がない。いまは思い出すことに興味が持てないのでそのままにしておく。きのう美香さんに会いに行った。関東は7月がお盆なのだそう。故人が帰ってくる、なんて言い始めたのはどこのどいつだろうとふと考える。「まだ踊る」とそこには書いてあった。私には苦しい言葉だった。一体いつになったら許してもらえるのか。黄色いバラと、なんとなく、光にあたるとキラキラ輝く服を来て行った。また褒めてもらえるような気がしたから。キラキラが好きな彼女に、そのズボンに似合ってる踊り、と褒めてもらった日のこと。いまは思い出すことに興味が持てないのでそのままにしておく。後ろ向きでもダンスを続けていいだろうか。

2017/06/23

バレエクラスについてのお知らせ

毎週木曜日、新長田のスタジオフラヌールにて開講しておりましたバレエクラスについてのお知らせです。

この度、諸般の事情により6月にスタジオの閉館が決まり、それに伴って私も講師のお仕事から離れることになりました。突然のことで、お知らせが遅くなってしまい申し訳ありません。
これまでクラスに来てくださった皆さま、応援してくださった皆さまのおかげでここまで続けてこれました。感謝しています。

これから継続してクラスを持つ予定は今のところありませんが、講師代行や単発レッスンなど、機会があればまた是非バレエに関わる時間を持ちたいと思っています。

本当にありがとうございました。


中間アヤカ

2017/04/03

2017年4月3日

派遣のアルバイト先で、時たまスーツを着用する仕事がある。白のワイシャツに黒のスカートスーツ、ヒール低めのパンプス。就活生にしか見えないねと決まって言われる。私はスーツを着ると少しだけ大胆になる。もともと1人で外食するのは苦手ではないが、スーツを着ているときは普段なんとなく入りづらいようなご飯屋さんにも堂々と入ることができる。それはスーツ姿の自分に自信がついたわけではなくて、その他大勢のちっぽけな1人になれたような感じがするからではないかと思う。私はどんな店にも難なく入れる最強人種はサラリーマンだと勝手に思っているので、少しだけ彼らに近づけた気がしてうれしい。1人だけどスーツを着ているから、大盛りも、ご飯のお代わりも、ビールも頼むことができる。スーツを着たおじさんはどこにいてもおじさんで、お店の人も周りの客も、おばさんや若い女性と比べるとその人を個人として見ることがわりかし少ないのではないか。春ですねー。ちゃんとした卒業・就職の流れに乗らなかったので、学生・社会人の区切りみたいなものの実感がないまま生きてきていますが、自分の中で仕切りを置くとすればそれは20歳の春です。学びの期間を終えて、さぁこれからどうしようかというときに、なんとなくイケてる感じがしたプロデューサーさんにワークショップのスカラシップをもらい、せっかくだし参加してみるかととりあえず神戸の家はそのままにして京都へ出向いたのが始まりでした。結局あまりおもしろくなくて、出席だけはなんとかしてレポートも出さなかったのですが(不義理をお詫びします)、そこで出会った人に舞台のお仕事をもらい、そこからまた新しい仕事に繋がり、と続いたことで関西に残ることになったのでした。ダンスのお稽古をしていると、自分は社会に対してとても遠い場所にいるような感覚に陥ることがあります。体重を左カカトに70パーセント、右つま先に30パーセント・・・なんてことをやっていると、世界でたった1人ぽっちになってしまったんじゃないかと錯覚するくらいです。ド平日の真昼間にそういうことをやっているもんで、余計に社会との繋がりが切れてしまったような気がする。今まではあまりそういう風に感じたことはなかったのだけど、最近よくそんなことを考えてしまうのは歳をとったからでしょうか。いまも、入社式だろうか、スーツ姿の若者が歩いていくのを窓越しに見ながらコーヒー片手にこのブログを書いています。なんとなくの戒めのために、朝はティッシュ配りのアルバイトを2時間やりました。

2017/03/03

2017年3月2日

人の踊りに口を出してばかりの日々、こうして自分の踊りは死にゆくのか。いやこの手で殺そうとしているのか。どこかに答えがないだろうかと、これまで何度かやりとりした文章を読み漁った。月日が経ち今ならと思っても、やっぱりいつでも摑みどころがなくてつるりと逃げられてしまう。返事が来ることなんてありえないのに、新しいメールをまた作りそうになってしまった。こんなときどうしたらいいか、いちばん聞いてみたい人はもうそこにいない。そこにいたとしても聞けないし聞かないだろうから同じことか。ダンスはきっと滅びるのだ。ずっと、誰もがヒーローや救世主を望んでいる。ダンサーという職業が機械のものになって仕舞えばいい。そしたらやっと呪いが解けるような気がする。そしたら私はダンスを捨てることができる。明日の朝、歯医者へ。もうすぐ銀を飼う。迎える準備がいろいろと必要なのだそう。

2017/02/27

ダンススタディーズ1『MISH MASH』

昨年11月より毎週京都に通い、ダンスについてあれこれする時間『ダンススタディーズ1』を過ごしています。そこに集まったメンバーで、これまで過ごしてきたあれこれを修了公演として発表する機会を設けました。ぜひ見ていただけたらと思っています。

私はダンサーの大谷悠ちゃんと一緒にナビゲーターという役割を務めています。ナビゲーターという言葉を調べてみると、「道などの案内をする人やもの」と出てきます。そんな私たちを訪ねてきてくれたメンバーのみんなは、ダンスをすることが目的の人もいればそうでない人もいる。いろいろな理由でたまたま「毎週火曜と金曜のダンススタディーズ」という道を選んでみた人たちです。彼らのことをもちろんダンサーとして見る時間もあれば、そうでない時間も同じくらいにあって、「振付(家)とダンサー」という概念が消えたり現れたりするのが私にとっては新鮮な体験です。そしてそこに立ち上がるダンスは彼らのものだったり、誰のものでもなくなったりする。

チラシに書いてある『MISH MASH』(ミシュマシュ=ごたまぜ、寄せ集め)とは、タイトルでありグループ名でもある、自分たちを総称する言葉だそうです。
3/18と19、各地で公演かぶりまくりな日程ですが、お時間つくっていただけると嬉しいです。


【日程】
2017年3月18日(土)14:00・19:00/19日(日)14:00

【料金】
前売り500円/当日800円 ※自由席

【会場】
京都市東山青少年センター 創造活動室
(京都市東山区東大路通五条上ル 東山区総合庁舎北館2F)

【ご予約・お問い合わせ】
Mail:higashiyama@ys-kyoto.org
Tel:075-541-0619
平日 10:00〜21:00(水曜休館)/土日祝 10:00〜18:00



 

2017/01/28

2017年1月28日

疲れた。どこかのタイミングで大きなラッキーが起こってくれないとバランスが取れない。生まれてこのかた24年、女として生まれてよかったなんて思ったことはなく、でも女性を守りたいみたいなそういう思想を持ち合わせているわけでもなく、この24年ずうっと男だったらよかったのにと心の中でつぶやく日々である。ただ男になりたいと思う。男が優遇される環境で戦うことを選びがちな性格もその理由かもしれない。男性ダンサーなんてもはや、ソロダンスなんて踊られるともはや、憎たらしくて仕方がない(だからといって女だらけのダンスが好きなわけでもないが)。人と接する職に就いていると、名前も知らないその人に対して、このあと帰り道で階段踏み外して死ねばいいとわりと強い力で願うことが稀にある。名前も知らない人だからわりと強い力で頼むから階段踏み外して死んでくれと、そう願えるのである。私は女である自分を、そうやってときどき守ってあげることがある。

2017/01/14

2015年8月15日に書いたもの

こんなにも強く願ったことはこれまでに一度もなくて、そのことを私は遠まわしに、だけどいろいろな形で伝えてきたつもりだったのですけども、とうとう届かなかったようです。いや届いてはいたのかもしれないですが、その願いは叶わなかったようです。くやしさで手が震える。夕方の川辺でどんなに大きな声をあげて泣いたって、泣きじゃくる声や止まらない鼻水をすする音をいちばん聞いて欲しい人はそこにいないし、とうに渡されてしまった事実はなにも変わらないということ、そんなのはとっくの昔に知っているけれど泣き虫だからやはり涙が出ます。残念です、といい子ちゃんのフリをして送る文章にそれ以上の意味はありません。あまりに残念すぎてそれしか返す言葉がなかったのです。どうして素直に言えないのとみんなが言う。これ以上素直になってどうしろというのでしょうか。待つ、しかできないのでそうしようと思っています。誰もが待てないこの時代に、私はただ静かに待っていることができるのです。ずっと。待っています

2015年7月24日に書いたもの

めそめそしていても仕方がないので踊る、働く。いつも通りのことをいつも通りにやって、ちょっとだけ新しいことを足してみる。そうやって空いた穴を埋めていく。言葉の扱い方がうまい人に惹かれる傾向があって、ちょっとしたメモ(手紙)やメールであっても良いなと思ったものは大事にしまって何度も読み返す。いつか「謙虚な巨人」になれるだろうか。いまこの文章を書きながら、Chiliさんの『東京タワー』という曲を聴いている。今となっては歌うたいさんと一緒に踊ることは珍しくなくなったけれど、私のはじめては彼女で、それは永遠にはじめてのまま。最初が肝心とか最後が肝心とかそんなのどうだっていいんだけど、はじめてっていうのはただ記憶に残りやすい。今日も案の定ダンスを観に行って、ぶらぶら帰った。

2017年1月13日

自分の一番かわいい瞬間を見てもらいたい相手にかぎって、たまたまのひどい有様を見られてしまう。いつもはこんなじゃないんです、と心の中でつぶやきながら。本当はまじまじと穴が開くほどその姿を見たいのに、だんだん変な汗までかいて、目も合わせることができない。踊っているところを見られるのが恥ずかしい。そういう感情が自分にもあるのだと最近知った。人前で踊ることに燃えるタイプなのに、どうも不思議だ。見てもよくわかんないと思います、なんて自分で言ってしまう有様である。専門性が高い感じなんだね、とやさしく頷いてくれるその人をまた少し好きになる。