2015/08/20

8月20日

23歳になりました。あまり実感はない、というよりどうでもいい。いやどうでもいいってことはないな。ひとつ歳を取るたびに、許されなくなることがひとつ増えるから。有名人になってねと言われた。たとえばなにかの拍子にそういう道が開けたとしてもお前には関係ねえよと呟いた、もちろん心の中で。あ、がんばります、とクソダサい返事をした。だいたい私が有名人になったところでどうするのだろう?俺この子と知り合いなんだ、と交換してから1度も連絡を取ったことのない電話番号だけをたよりに薄っぺらい自慢でもするのだろうか。それとも私がひねくれているだけで、有名人になってねというのはつまり頑張るんだよ応援してるからねという労いの意味も含まれているんだろうか。自分へのお祝いに古着屋でTシャツとワンピースを買った。どちらも千円だった。やっす。誕生日どころか普段の買い物と変わらないけど別にいいのだ。値段じゃなくて、その2つしか欲しいのがなかったんだから仕方ない。でもいつかはヴィヴィアンのコートをばばんっと買ってみたい。シャネルとかじゃなくて、ヴィヴィアンがいい。誰かに買ってもらうのはダメ。いよいよ寒くなってきた曇り空の日にひとりで店に入って、金色のロゴが入ったあの袋を抱えてひとりで出てくる。コート、着て帰りますってのもいいな。ちいさな夢

2015/08/15

8月14日

横浜駅で急に呼び止められて、5年ぶりくらいの再会。10代の頃、地元で初めてイベントの企画をしたときに出演してくれたパフォーマーさん。あれ以来疎遠になっていて、いまどうしているのかも知らなかった。振り返って顔見た瞬間フリーズ。ほんとうに驚いた。喋っているうちに気づいたら涙が止まらなくなっていた。ただただ、うれしかった。私の活動は知ってくれていたようで、今月末のも見に行くからチケット取っといて!!と。涙が止まらない私をみかねてたい焼きを買ってきてくれた。ぐっと力強い握手をして、別れた。そうだあのときも握手したなと5年前を思い出しながら、たい焼きを抱えたまましばらく1人で泣き続けていた。

2015/08/10

8月10日

横浜での暮らしが終わりに近づこうとしている。そして夏も。もうすぐまたひとつ、歳を取る。最近よくロンドンにいたときのことを思い出す。今滞在している場所がゲストハウスを兼ねていて、毎日いろんな国の人と出会うからだろうか。今日はアジアンの男性がやってきた。外に出たいけど引き戸の鍵の開け方が分からないと言うので教えてあげた。薬を買ってきたようで、箱に書いてある成分が何なのか知りたいらしくgoogleで一緒に調べた。眠るための薬だった。それについて特に話はしなかった。ありがとう、これプレゼント、とコンビニのドライフルーツをくれた。私もありがとう、と言って遠慮なく受け取った。他人に知らないことを聞くというのはとても勇気のいる行為だと思う。特に意識せず出来る人もいるかもしれないが、私は結構ドキドキする。相手が自分と違う言葉を話す人ならなおさら。どうにか意思疎通できたとき、親切にしてもらったとき、涙が出るほど嬉しくて、その場を離れてふーっと一息つく。コンビニのドライフルーツは、たぶん彼の勇気の証なのだろうと思った。明日のおやつにしよう、ありがとう

2015/08/06

むかしのこと

たしか宗教の話をしていたときだったと思う。なにかを信じなければ生きていけなくなることだってある、というようなことを昔付き合っていた人が言っていた。そのとき私は17歳で、その人のことが大好きだった。だいぶ歳が離れていたこともあって、彼の発言や持ち物や生き方みたいなもの全てがかっこよく見えていた。とても頭の良い人だった。彼はいつも私の知らない難しい話をしてくれて、どうにかしてそれに相槌を打てるようになりたくて、私はその日聞いた内容を帰ったらすぐにネットで調べたし会う前には必ずニュースをチェックしたりもしていた。今思い返してみると笑ってしまうが、そのときは本当に必死だった。なにか悩んだり考え事をするときに明確な道筋があるのは楽ですよ、とこないだ知り合ったばかりの人は言っていた。それを聞いて彼のことを思い出した。じゃあ身体は、と今の私は思う。身体の声を無視することにはならないのだろうか。最後に、引かれるかもしれないけどちょっぴり嬉しかったことを書きます。さっきこっそり彼の名前をフェイスブックで検索してみたらプロフィール写真で私と同じスニーカーを履いていました。友達申請はしなかったのでセーフかな。お元気で

2015/08/03

8月3日

おそらく軽い熱中症になりかけていたのだと思う。いまも少し頭が痛い。もうシャワーも浴びたしはやく寝たいところだけれど洗濯機を動かしてしまったので、終わるまでブログを書くことにした。半分意識がないままパチンコ屋の新台入替ティッシュを配っていた。お姉ちゃん、帽子もかぶらないでこんなとこで、倒れちゃうよ!とおばちゃんに大きな声で言われて、でも帽子がないのもこの場所で配らなきゃいけないのも全部会社のせいだし私に言われてもさぁ、心配してくれたんだろうがもう暑すぎてなにもかもどうでもよかったのでシカトした。私が怒ったと思ったのか、おばちゃんは大丈夫?水分補給しなさいよ、と私の顔をのぞきこんで、あーはい、と私はへらりと笑った。2、3日前どっかの街で、交通整理のお兄さんが熱中症で死んでた。たしか私と同い年じゃなかったか。しんどくてもう無理です、と体調不良を訴えて病院に運ばれたらしい。ニュースを見て気になって調べてみたらネットでも少し話題になっていたようで、この歳ならもっといい仕事あっただろうに、というようなことが書かれていた。うーん、そうか。私はティッシュ配りの仕事が好きだ。これから洗濯物を干して、2段ベッドの上で寝て、明日の朝になってもそのままもう目を覚まさなかったらどうしようか。ティッシュ配りを終えてパチンコ屋に戻ると、休憩室にイケイケなお姉さんがいた。イベントコンパニオン、と呼ばれる彼女たちはヘソ出しの衣装を着て、マイクパフォーマンスや可愛いしぐさをしながら飴を配り、店内を賑やかすのがお仕事だ。私も関西でティッシュ配りの会社とは別に、イベントコンパニオンの事務所に登録している。とても特殊な世界だと思う。パチンコ店でのパフォーマンスだけでなく、ショッピングセンターでの抽選会イベントや百貨店・スーパーでの試食など地味系のものから、可愛い衣装を着用しての新商品のサンプル配布、展示会での企業ブースのキャンギャルに、レースクイーンや商材モデルまで様々な仕事がある。事務所に登録しただけでは仕事はもらえなくて、案件ごとに事前の書類審査やオーディションに受からないといけない。ここから芸能界を目指す女の子たちも多いしファンがついているような有名コンパニオンなんかもいるが、私は割のいい派遣バイトとしか考えていないので受かればラッキーといったスタンスで予定が空いているときに気になる仕事にだけエントリーしている。コンパニオンのお仕事は、基本的にちやほやしてもらえる。衣装を着るだけでかわいいね~、華があるわ~と言われるし、基本ヒールでの立ち仕事メインということもあるが、普通のアルバイトに比べて休憩もこまめにもらえる。パネルの前でコンパニオン立ち(手を前に組んで足の角度をそろえて立つ)でニッコリしといて、という指示をもらったときは正直「は?」と思った。洗濯が終わった。

2015/08/01

7月31日

楽しみにしています、という言葉はなんておそろしいのでしょう。楽しみにしています恐怖症という病気があったら私はおそらくそれだと思う。手紙やメールの最後の結びというか、使い勝手が良いのでその一文自体に特に意味がないこともしばしばあるだろうけどやっぱりウッとなってしまう。歳を重ねるにつれて、期待されることに対してどんどん臆病になっていっている気がする。プレッシャーというのか、これはなんというか普段の自分の行いが悪いのもあって(大抵のことに面白くないとすぐ言ってしまうとか)、いざ自分から何かしようとなったときにとてもきまりが悪い。もう舞台に立つのも怖いし、人様の前で踊りなんて見せられたもんじゃない。こないだちょっとした機会があって「誰のためでもないダンス」を夜の道端で踊った。とはいえその踊りは遠くからカメラで撮られていたので誰のためでもないなんて嘘八百も甚だしいのだけど、ちょっと意識を変えるだけでもこれがなかなか新鮮だった。ひと月前くらいだろうか、「ママのために踊っているの?」というメールを母親から受け取った。脈絡もなく突然そんなことを言われたので一体なんなんだと返事が出来なかったのだけど、まぁそうかもしれないねと心の中では答えていた。母親のためというより家族のため、身内のため、友人のため、自分のため、認めたくないくらい正直に言い換えれば「世間体のため」か。踊りを続けるためにいろんなものを犠牲にしてきた。親の金をむしれるだけむしって、ここまできたらもう辞められない。好きで続けていたはずなのに、踊りを捨てて空っぽになる自分が怖いから捨てられない。地元の友達なんてほとんどいない、みんな「ダンスをやっているアヤカ」にしか興味ない。なーんてね。私は誰のためにも踊らない。だから楽しみにされたって関係ないんだよ。あの夜がなければ忘れてしまうとこだった、あぶないあぶない