2015/08/01

7月31日

楽しみにしています、という言葉はなんておそろしいのでしょう。楽しみにしています恐怖症という病気があったら私はおそらくそれだと思う。手紙やメールの最後の結びというか、使い勝手が良いのでその一文自体に特に意味がないこともしばしばあるだろうけどやっぱりウッとなってしまう。歳を重ねるにつれて、期待されることに対してどんどん臆病になっていっている気がする。プレッシャーというのか、これはなんというか普段の自分の行いが悪いのもあって(大抵のことに面白くないとすぐ言ってしまうとか)、いざ自分から何かしようとなったときにとてもきまりが悪い。もう舞台に立つのも怖いし、人様の前で踊りなんて見せられたもんじゃない。こないだちょっとした機会があって「誰のためでもないダンス」を夜の道端で踊った。とはいえその踊りは遠くからカメラで撮られていたので誰のためでもないなんて嘘八百も甚だしいのだけど、ちょっと意識を変えるだけでもこれがなかなか新鮮だった。ひと月前くらいだろうか、「ママのために踊っているの?」というメールを母親から受け取った。脈絡もなく突然そんなことを言われたので一体なんなんだと返事が出来なかったのだけど、まぁそうかもしれないねと心の中では答えていた。母親のためというより家族のため、身内のため、友人のため、自分のため、認めたくないくらい正直に言い換えれば「世間体のため」か。踊りを続けるためにいろんなものを犠牲にしてきた。親の金をむしれるだけむしって、ここまできたらもう辞められない。好きで続けていたはずなのに、踊りを捨てて空っぽになる自分が怖いから捨てられない。地元の友達なんてほとんどいない、みんな「ダンスをやっているアヤカ」にしか興味ない。なーんてね。私は誰のためにも踊らない。だから楽しみにされたって関係ないんだよ。あの夜がなければ忘れてしまうとこだった、あぶないあぶない