2017/01/28

2017年1月28日

疲れた。どこかのタイミングで大きなラッキーが起こってくれないとバランスが取れない。生まれてこのかた24年、女として生まれてよかったなんて思ったことはなく、でも女性を守りたいみたいなそういう思想を持ち合わせているわけでもなく、この24年ずうっと男だったらよかったのにと心の中でつぶやく日々である。ただ男になりたいと思う。男が優遇される環境で戦うことを選びがちな性格もその理由かもしれない。男性ダンサーなんてもはや、ソロダンスなんて踊られるともはや、憎たらしくて仕方がない(だからといって女だらけのダンスが好きなわけでもないが)。人と接する職に就いていると、名前も知らないその人に対して、このあと帰り道で階段踏み外して死ねばいいとわりと強い力で願うことが稀にある。名前も知らない人だからわりと強い力で頼むから階段踏み外して死んでくれと、そう願えるのである。私は女である自分を、そうやってときどき守ってあげることがある。

2017/01/14

2015年8月15日に書いたもの

こんなにも強く願ったことはこれまでに一度もなくて、そのことを私は遠まわしに、だけどいろいろな形で伝えてきたつもりだったのですけども、とうとう届かなかったようです。いや届いてはいたのかもしれないですが、その願いは叶わなかったようです。くやしさで手が震える。夕方の川辺でどんなに大きな声をあげて泣いたって、泣きじゃくる声や止まらない鼻水をすする音をいちばん聞いて欲しい人はそこにいないし、とうに渡されてしまった事実はなにも変わらないということ、そんなのはとっくの昔に知っているけれど泣き虫だからやはり涙が出ます。残念です、といい子ちゃんのフリをして送る文章にそれ以上の意味はありません。あまりに残念すぎてそれしか返す言葉がなかったのです。どうして素直に言えないのとみんなが言う。これ以上素直になってどうしろというのでしょうか。待つ、しかできないのでそうしようと思っています。誰もが待てないこの時代に、私はただ静かに待っていることができるのです。ずっと。待っています

2015年7月24日に書いたもの

めそめそしていても仕方がないので踊る、働く。いつも通りのことをいつも通りにやって、ちょっとだけ新しいことを足してみる。そうやって空いた穴を埋めていく。言葉の扱い方がうまい人に惹かれる傾向があって、ちょっとしたメモ(手紙)やメールであっても良いなと思ったものは大事にしまって何度も読み返す。いつか「謙虚な巨人」になれるだろうか。いまこの文章を書きながら、Chiliさんの『東京タワー』という曲を聴いている。今となっては歌うたいさんと一緒に踊ることは珍しくなくなったけれど、私のはじめては彼女で、それは永遠にはじめてのまま。最初が肝心とか最後が肝心とかそんなのどうだっていいんだけど、はじめてっていうのはただ記憶に残りやすい。今日も案の定ダンスを観に行って、ぶらぶら帰った。

2017年1月13日

自分の一番かわいい瞬間を見てもらいたい相手にかぎって、たまたまのひどい有様を見られてしまう。いつもはこんなじゃないんです、と心の中でつぶやきながら。本当はまじまじと穴が開くほどその姿を見たいのに、だんだん変な汗までかいて、目も合わせることができない。踊っているところを見られるのが恥ずかしい。そういう感情が自分にもあるのだと最近知った。人前で踊ることに燃えるタイプなのに、どうも不思議だ。見てもよくわかんないと思います、なんて自分で言ってしまう有様である。専門性が高い感じなんだね、とやさしく頷いてくれるその人をまた少し好きになる。