2016/04/28

2016年4月27日

結局はそういうことなのだ。人と人とのあれこれに麻痺しているのだろう。思えば物心ついたときから、自分以外の他者への興味が極端に少ない方であった。神戸のアパートを借りるのに月々いくら払っているか、3階に住む大家さんが弾くピアノの曲目や、彼女に飼われている馬鹿なポメラニアンの話なんかを事細かにしている最中、そういえば自分は相手について苗字と職業(例えばOL、といったおおざっぱな振り分け)くらいしか知らないなんてザラにある。こちらが聞かずとも喋ってくる人はいるが、そもそも聞いていないので覚えておらず、それによって記憶障害かと疑われるほどに「思い出」なんかも持ち合わせていない。ハタチを過ぎていくらかましになってきたとは思う。『キャバ嬢が教える会話術』みたいなタイトルの本を手に取ったこともあった。天気について話すというような、会話のスタートを切ったり繋げたりという行為において便利な内容を口にすることが出来なかったのだ。意味がわからなくて。ただごくたまに、それまでの人生どんな時間を送ってきたのかを知りたいと自然と思う人に出会うことがある。直近ではSさんがそれに該当する。質問をすることが苦手な私は、やはり質問ができないので、質問という方法を使わずにどこまでSさんのこれまでを知ることができるか試している最中である。