2018/04/07

2018年4月7日

肩書きみたいなところに(ダンサー)と書かれることにはもうだいぶ慣れていて、というのも一応それに為るために訓練をして金も時間も費やしてきたし自分のやっている活動みたいなこととか身体の扱い方みたいなこととかによってそう呼ばれることには意識的に、そう呼ばれるべきだと誇りを持ってやってきた。でもそこからちょっとはみ出たことをしようとするとその行為はもうダンサーであるままには都合がちょっとつかないらしく、最近はこの私が(俳優)などと名前のそばに置かれている大変な事態です。あなたたちを括るときにやっぱり適当な名前が必要で、だから別にダンサーじゃなくたってダンサーと呼ばれても俳優じゃなくたって俳優と呼ばれてもいいんだろうけどどうしてかむず痒い。ちゃんとダンサーって呼んでよね、プン、てことでは一切なくて、なんかほんと、俳優じゃないのにすいません本当とやけに弱気なのである。人はみなダンサーだ、みたいなのあるじゃないですか。あれってまぁ分かるんですけど、人はみな俳優だ、みたいなのはあるんでしょうか考え方として?それで、最近立った舞台のことを考えてみたんですよね。自分は誰(何)としてあの舞台に立っていたのだろうかと。それで、ダンサーじゃないってなって、俳優でもないってなって、じゃあ自分かというとそうでもなくて。よく分からなくて、名前が付けられなかった。ダンサーであることにこだわりを持って生きてきた私にとってこの感覚は結構新しくて、面白いなと思っています。早朝路上に立って人にものを配る労働をしているのですが、仕事が終わって家でご飯を食べると一気に眠気がやってくる。身体的にも精神的にも耐えることには強い方だけれど、これだけはもう、本当に我慢ができない。それでお昼にベッドに入るとだいたい不思議な夢をみて、日付が変わる数時間前に目が覚める。そこから元気がやってくるので洗濯したり、本を読んだり、メールを返したりする。朝に施してから一体何時間経過したかもわからない化粧をやっと落として、久しぶりにブログを書いてみました。現在4:50。