2016/05/10
2016年5月4日
筋肉痛とは答え合わせである。1日が経ち、内腿と、腰ではなく背中が痛かった。外側じゃなく内側を使えと言われていたので、内腿が痛かったのは嬉しい。大谷(紅玉)さんの舞踏クラスを受けた。舞踏というジャンルにあまり興味はないがそれを取り巻く諸々をおもしろく感じる。言葉遊びを身体にうつしていく作業(と私は呼びたい)があって、これがなかなかむず痒い。カラダは水袋。奥歯の先に森が広がっている。まぁこれらがどんなに明確にイメージできていたとしても、イメージは単なるイメージに過ぎず、輪郭を取ることも大事なのだろうと思う。(たぶん。)ダンスにおいて輪郭を取るという作業は、目で見えているカラダの形を真似することと似ているようで違うと思っている。模倣という言葉が少し近いか。まぁ、ようはお祭りの型抜き、綺麗に抜けたそのかたちそのものではなく、抜いている最中の時間、出来事、感覚?私は型抜きやったことないけど。
2016/05/02
2015年5月2日
あの数秒の特別な時間を、大好きな映画のワンシーンのように繰り返し思い出す。ふと頭に浮かんでくるわけではなくて、またあの光景をまぶたの裏に見て幸せな気持ちに浸るため、わりと頑張って意識的に思い出す。思い出すという行為を自ら選択し、さぁやるかというのはなかなか不思議な感じがする。あれからだいぶ時間が経ったような気がして手帳を開いたら、まだ1週間とちょっと前の出来事だった。こうやって少しずつ、蛇口の根元から水が浸み出していくように忘れていく。しっかりと蓋をして、たまに中を覗いて触れてやらないとすぐに逃げてしまう。
2016/04/30
2016年4月29日
そういうの、共依存って言うんだよ、とよりちゃんが教えてくれた。私は、100均に売っているレンジ調理器を使って作った(「作った」と書くことに違和感を覚えるほど手のかからない)塩ラーメンを食べていた。具なし。いつからかネグレクトに関するいろいろを追いかけている。でもその日は恋愛の話をしていた。よりちゃんが履いていたギャルソンのパンツが可愛くて、いいね、と2回くらい言った気がする。このブログは日記ではないので、大真面目にその日起こったことを記しているわけではない。でもその日起こったことをまったく書かないわけでもない。本当のこともあるし、嘘も書く。読み物としての面白さとか、リズムとか、最近はそういうのもやってみたくなってきて、だから「中間アヤカ」として書くことが正しいのかはわからないけど、いまは他にこのようなページを作るのも面倒なのでここに垂れ流している。見てくれている人が増えてきたので、このような言い訳をしてみようと思った。よりちゃんの話に戻そう。よりちゃんは占いが好きで、占うことはできないけど占われることについて詳しい。でも対面で占い師に見てもらったことは今まで2回しかないらしい。よりちゃんは私がブログを書いていることを知らないし、そこに自分の名前が出ていることも知らない(たぶん)。これからもそのことについて話す予定はないが、知られたら知られたで別に構わないしよりちゃんもそんな感じだと思う。そもそもよりちゃんというのは偽名である。私たちはたまに一緒の時間を過ごす。私はだいたいなにかを食べていることが多く、気が向いたらひとくち分けてあげる。よりちゃんは、くれるの?とか、ありがと、とか言わずに自然と口を開ける。ただ、ラーメンはいらないと言って断られた。教えることをためらうような素振りも見せず、淡々と説明を続けるその姿をなんだか悲しい気持ちで眺めていた。「愛されるのが趣味なんでしょ」と言ったよりちゃんは、続けて間髪入れず「愛されていると感じるような行為を受け入れるのが趣味なんでしょ」と言った。一字一句正しくは憶えていないが、そのようなことを言っていた。この辺りからメモを取るのを忘れておしゃべりしていたから。あの時なんて言ってたっけ、と聞いたところで答えは返ってこない。ギャルソンの可愛いパンツはともかく、そもそもよりちゃんはこの世に存在していない。
2016/04/28
2016年4月27日
結局はそういうことなのだ。人と人とのあれこれに麻痺しているのだろう。思えば物心ついたときから、自分以外の他者への興味が極端に少ない方であった。神戸のアパートを借りるのに月々いくら払っているか、3階に住む大家さんが弾くピアノの曲目や、彼女に飼われている馬鹿なポメラニアンの話なんかを事細かにしている最中、そういえば自分は相手について苗字と職業(例えばOL、といったおおざっぱな振り分け)くらいしか知らないなんてザラにある。こちらが聞かずとも喋ってくる人はいるが、そもそも聞いていないので覚えておらず、それによって記憶障害かと疑われるほどに「思い出」なんかも持ち合わせていない。ハタチを過ぎていくらかましになってきたとは思う。『キャバ嬢が教える会話術』みたいなタイトルの本を手に取ったこともあった。天気について話すというような、会話のスタートを切ったり繋げたりという行為において便利な内容を口にすることが出来なかったのだ。意味がわからなくて。ただごくたまに、それまでの人生どんな時間を送ってきたのかを知りたいと自然と思う人に出会うことがある。直近ではSさんがそれに該当する。質問をすることが苦手な私は、やはり質問ができないので、質問という方法を使わずにどこまでSさんのこれまでを知ることができるか試している最中である。
2016/04/20
2016年4月20日
次の出演作品のクリエイションのため、6月末まで東京に部屋を借りている。別の作品も掛け持ちで稽古しているので、神戸にもたびたび帰る。いまは神戸。身体が、のびのびとしているのがわかる。神戸のアパートはとても狭いけれどとても素敵で、日の光がさぁっと差して、ピアノの音が聞こえる。猫もいる。馬鹿な犬もいる。テレビはない。クローゼットもない。こたつはあるけどもうしまった。今日は朝ティッシュ配りのアルバイトに行って、帰りに元町の水曜市で生のわかめとサンフルーツを買った。これから稽古。この間の地震で、別府もかなり揺れたらしい。家の中はめちゃくちゃになったけど、家族みんな無事だった。母親が、部屋を片付けている途中にこんなものを見つけたと写真を送ってきた。いつ頃書いたものかさえ思い出せない。「こんどおどりみてね!」なんて、こんなにも無邪気に言えていた日があったのか。私はいつも、ダンスのために家にいない。命があってよかったよ、なんてセリフを、生まれて初めて言葉に出した。
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