2016/04/28
2016年4月27日
結局はそういうことなのだ。人と人とのあれこれに麻痺しているのだろう。思えば物心ついたときから、自分以外の他者への興味が極端に少ない方であった。神戸のアパートを借りるのに月々いくら払っているか、3階に住む大家さんが弾くピアノの曲目や、彼女に飼われている馬鹿なポメラニアンの話なんかを事細かにしている最中、そういえば自分は相手について苗字と職業(例えばOL、といったおおざっぱな振り分け)くらいしか知らないなんてザラにある。こちらが聞かずとも喋ってくる人はいるが、そもそも聞いていないので覚えておらず、それによって記憶障害かと疑われるほどに「思い出」なんかも持ち合わせていない。ハタチを過ぎていくらかましになってきたとは思う。『キャバ嬢が教える会話術』みたいなタイトルの本を手に取ったこともあった。天気について話すというような、会話のスタートを切ったり繋げたりという行為において便利な内容を口にすることが出来なかったのだ。意味がわからなくて。ただごくたまに、それまでの人生どんな時間を送ってきたのかを知りたいと自然と思う人に出会うことがある。直近ではSさんがそれに該当する。質問をすることが苦手な私は、やはり質問ができないので、質問という方法を使わずにどこまでSさんのこれまでを知ることができるか試している最中である。
2016/04/20
2016年4月20日
次の出演作品のクリエイションのため、6月末まで東京に部屋を借りている。別の作品も掛け持ちで稽古しているので、神戸にもたびたび帰る。いまは神戸。身体が、のびのびとしているのがわかる。神戸のアパートはとても狭いけれどとても素敵で、日の光がさぁっと差して、ピアノの音が聞こえる。猫もいる。馬鹿な犬もいる。テレビはない。クローゼットもない。こたつはあるけどもうしまった。今日は朝ティッシュ配りのアルバイトに行って、帰りに元町の水曜市で生のわかめとサンフルーツを買った。これから稽古。この間の地震で、別府もかなり揺れたらしい。家の中はめちゃくちゃになったけど、家族みんな無事だった。母親が、部屋を片付けている途中にこんなものを見つけたと写真を送ってきた。いつ頃書いたものかさえ思い出せない。「こんどおどりみてね!」なんて、こんなにも無邪気に言えていた日があったのか。私はいつも、ダンスのために家にいない。命があってよかったよ、なんてセリフを、生まれて初めて言葉に出した。
2016/04/06
2016年4月1日
あぁ、死ぬかも、と思った。これまで全く危機感を覚えないほどにぬくぬくと生きてきたわけでもないが、そんな風に思ったのは初めてのことだった。横に、ゆらぁっと揺れて、目の前がぐるぐる回っていた。貧血を起こして倒れる間際のあの感じがしばらく続いて、あれおかしいな倒れないぞと思ったのとほぼ同時くらいに「地震だ」と気がついた。オフィスビルの8階、誰の携帯も鳴らないし、なんのアナウンスもないとても静かな時間だった。大きく、ゆっくり、たっぷりと揺れた。気持ちが悪かった。「あの時の揺れ方に似てた」と社員さんが言って、誰も返事をしなかった。フロアにいたアルバイトは私だけだったのでなにか反応しなければと思ったが、「あの時の揺れ方」を知らない私は結局黙っていた。体感ではこれまで経験してきた中で一番大きい揺れであったが、あとから調べるとビルの建っている場所は震度1しかなかった。
2016/02/18
2016年2月18日
ダンスじゃなくていいから踊りたいよ。私たちは、わたしは、それがダンスであるのかないのかいつも考えていなくちゃいけない。ダンスかどうかはさておき、という踊りをわたしはもう一生踊れないのだろうか?ダンスとは何か、そんな小難しいことは頭のいい人たちが考えてくれるから、ダンスかどうかはさておき、踊ろう。夢のまた夢のようなお話を夢見ながら、また今夜も「ダンス崇拝」の幻想に踊らされるのだ。まぁここんとこ最近は「ダンスなんてそもそも存在しない説」を胸に抱いてあたためている傾向にあるのでちょっとばかし楽ではあるが。
2016/01/26
2016年1月26日
ロンドンに住んでいた時にバイトして買ったマーチンの8ホールのブーツを売った。たいした額にはならなかったが、大事にしすぎてあまり履くこともなかったので後悔はない。ただ、自分でもよくわからない何かをひとつ清算したような気分ではある。17歳だった。泣きながら踊っていた。ダンスが嫌いなの?と聞かれて、そうだとはっきり答えた日のことは今でも覚えている。契約とは不思議なもので、来年の夏までは踊りを続けていなければならないらしい。明日自分の身体がどんな姿形をしているかもわからないのに、そんな他人の「踊り」なんていう不確定なものと契りを結ぶなんて、と思った。でも同時に、そういうことが自分の踊りへの自信に繋がるし、ダンサーとしてのプライドにも拍車をかける。昨日チラシを配っている最中、見知らぬ女の人に差し出した手をぎゅっと握られた。もっと長く感じたけれど実際には5秒くらいか、黙って強く握られたまま放してくれなくて、驚いて声が出せなかった。人通りは結構あったけれどその流れを止めることなく、私の前を通り過ぎるまでの間の出来事だった。あまりにも自然すぎた。最後の1秒あたりで、このまま殺されるかもとさえ思った。逆ギレしたおばあちゃんにチラシを顔面に投げつけられたり、酔っ払いに肩を抱かれたり、おじさんに握手を求められたりといったことはこれまであったけれど、それらは全て流れやリズムに不自然な行為で、だからこそ反応できた。自然であることが一番怖い。
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